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2019.09.02

「住宅間取りの変遷」

設計課の山下です。普段、住宅の設計をする中で、建物の「動線」を意識することは多く、動線の概念は設計をするにあたり大事な要素の一つになっています。そこで昔の建物は、この動線についてどのような考え方の基に作られていたのか、興味が湧き調べてみました。
 
古民家等の間取りは大概、田の字の形となっており、当然に動線に関する廊下はありません。特に大きな寺院やお城の建物にも廊下が無いのは不思議です。例えば江戸城は、庭に面したところに幅一間以上の広い畳敷きの廊下のごときものが続いてはいますが、その内側は襖で区切られた部屋同士が、互いにつながる畳の部屋の連続です。まるで「動線」は無視されているかのような感がします。もちろん、廊下が動線に必須のものであるとは考えませんが、少なくともその代替になるものは必要であろうと思います。
 
 現代住宅においても一部の建築家の設計した住宅を除き、庶民の住宅に廊下が出現したのは戦後のようです。昭和30年代の住宅金融公庫のプランによりますと、玄関より続く廊下が、平屋の建物の真ん中を貫き、庭に面した部分に、いざとなれば広くも使える和室の二間続きを置き、廊下を挟んで台所やお風呂が配置されています。
要するに中廊下式の採用です。そのころは、食事は4帖位のかまど付き台所で作り、食べるのはそれに続く和室の6帖で、茶ぶ台で食べていたようです。未だ、ダイニングキッチン(DK)の概念もありません。
 
 昭和も40年代になると、都会で鉄筋コンクリート造の団地がつくられはじめ、DKの概念が採用され、モダンなステンレス製のシンクが採用されています。鉄筋コンクリート造の団地に住むことが都会で働く人々のあこがれになったようです。
 
 そして現代にも続くセンターリビングの概念は、昭和も50年代になったあたりから出現しています。
 
 要するに、昭和以前の昔の人々の住宅に関する考えは、建物の規模が小さかったこともあり(当時の一般国民の家は20坪以下で30坪もあれば豪邸でした)、一つの部屋に特定の用途を持たせない『多目的主義』であったようです。和室の6帖が食事をするところにもなれば、茶の間にもなり、片付けて寝室にもなったのです。
 
大きな寺院でも、大勢の人々が集まる時は襖を外せば大広間となり、畳敷きの廊下のごときものも部屋の一部となりました。部屋間の移動も畳の部屋を介してのようです。
 時代劇の中の赤穂浪士の討ち入りのように、吉良様を探すのに、襖をどんどん開けて移動していくのが常態だったのでしょう。奥の部屋は昼間でも暗かったのではないかと思いますが、多分かねては襖も外され、庶民も昼間は働くのに忙しく、部屋で過ごす習慣もなく、現代のようなプライバシーの概念もなかったのだろうと思います。
 
 ひるがえって現代の住宅を考えれば、個の尊厳に基づくプライバシーの保護と家族の融和、それに家事の効率化をいかに図るかが大きな命題になっています。いわゆる『個の時代』の価値観を基本に置き、家族の融和を図る家造りです。
 
しかし、ここにきて多少の、家造りにたいする変化が見えてきました。それは、かつての来客中心に基づく玄関の位置付けの変化や、家事動線を重視したバックヤードの考え方、あるいは個室を寝るためだけの用途に特化させ、全ての作業を、すなわち子供の勉強や趣味の活動を、家事動線につながるスペースでするという吹き抜け空間を中心とするワンルーム化です。断熱技術の進歩に基づく『新・多目的主義』に基づく家造りへの変化の兆しです。
 
しかし、未だ、リビングを中心に個室が囲む、センターリビング方式を凌駕するものはありません。
 
 思うに、現代社会に対する現代人の位置づけが、住宅の設計にも大きくかかわっているように感じます。当社はこのような社会の住宅に対するニーズを敏感に感じ、「働き方改革に資する家」と言った概念をも考慮した家造りを社内で、研究、開発しています。
 
これからも社会の向かう方向をしっかりと見据え、住宅の発展に少しでも貢献したいものだと、日々、考えています。
 
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